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帰り道 [懐かしい]

千早からの帰り道。
行く時は気にもせず通った環状7号線。
千早から環七に出て、綾瀬方面に向かう。
大和陸橋手前に、富士見街道入口と言う交差点がある。
この街道に入ると、常盤台や大山方面に向かうのだが、
交差点を入ってすぐ右側に、大昔、SB食品の工場があった。
(今でもあると言われましたm(_"_)m)
なので私には、SB通りの名の方がなじみ深く、
カレー粉を作ってた工場だったので、
辺りにカレーの香りが漂ってました。

そのまま、進むとJRの十条駅近辺を過ぎると、
急な下り坂に差し掛かる。この坂の下はJRの線路がある。
従兄弟が生まれた時に、オジキと一緒に散歩がてら、
この坂の途中まできて、下を走る電車を眺めてた。
坂を下り終わった辺りから、
北本通りのある神谷町までの景観はとても変わった。

昔、神谷町のバス停付近にタバコ屋さんがあったのだが、
そのタバコ屋には、俗名ロウマッチ(黄燐マッチ)が売っていて、
オジキに、強請って買って貰った。
今じゃ、ロウマッチなんて知らない人が殆どだろう。
西部劇などで、時々見た事あるでしょう。
カウボーイが、壁とかに擦りつけて火が着くマッチです。
子供じゃ買えないのでね、普通のマッチの赤燐部分をつばで濡らして
それを、マッチの頭にそれを塗る。
しばらくして乾くとね、ロウマッチと同じ様に使用できた。
今は、発売禁止なんだそうです。失礼。

神谷町を過ぎて、陸橋を渡ると、私の故郷。足立の新田に入る。
陸橋を降りる少し手前。進行方向左側横に、昔、養鶏場があった。
同級生の村〇君の家。今は、もうありません。

足立新田高校の正門は、川に向かってでは無く、校舎の横側にあります。
それとは違って、親父の勤めていた工場の正門は、川に向かって有って、
堤防は、今みたいな高い物では無くて、小学生の私でも
簡単に登れる程度の高さだった。
それこそ大昔、この川を渡る船が来ると、
その船の下を、子供達が潜水してくぐったそうです。
綺麗な川だったのでしょう。
この川は、旧新田中学校の裏を通ってる川で、
私の頃は、汚くて臭くて、豚の死骸とかが流れてました。
足立新田の校舎と小さな通りを挟んだ所にテニスコートがあるが、
あの場所は、昔からテニスコートなんだよ。
あそこで、親父もテニスをしてました。軟式だけど(^^;;;
真黒い木造の建物が建っていて、今で言うクラブハウスかな。

新田は小さな町なので、車ではあっという間に通り過ぎてしまう。
鹿浜橋の横に、今は無き新田小学校が建っていた。
ここもすでに、更地と成ってしまいました。
環七を挟んで小学校の対面に、都営団地が建ってるが、
まだ、人が住んでいるのかな。
この団地の中に、公衆電話があって、
お金を入れる所に、5円玉を入れる口があった。
5円、10円、50円の三つの口。
で、この電話がね、あるやり方をすると、ただで使えた。
まあ、悪さばっかりしてたな。

鹿浜橋は、私が小学校の1年生の時に開通した。
当時は、東都知事と言う人だったが、都知事が記念式で通る時に、
側道で、日の丸を振った覚えがある。

鹿浜橋を渡ると、今では目の前に高速道路が見えるが、
そんな物当時は無く、橋の向こう側は、ずっと一面、畑と田んぼだった。
小学生の高学年に成って、自転車を買って貰って、初めてこの橋を渡った。
勿論、子供だけで行ってはいけないに成ってました。
生まれて初めて、肥だめを見たのもここ。
「竜が住んでるんだ」誠しやかに、話す友達。

肥だめって、厚い膜に覆われるんだよね(^^;;;
そんじょそこらでは、あの膜は破れなかった。
大きな石を持ってきて、落として、ようやっと破れたが、
まあ、尋常じゃ無いかほりがすんべ(^^;;;;
一目散に「竜が出た!」と言い、みんなで逃げた。

千早を出て、環七の表示板には加平まで25分とあった。
SB通りから鹿浜橋まで、時間にすると10分くらいかな。
車で10分程度の通りに、この間家出の話を書いたからかな、
そう言えばと思い、景色を嘗めるようにして帰った。



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