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同じ状況に [ビ-バ-ズ]

30周年の時も、実行委員の1人としてお手伝いをさせて貰った。
オープニングビデオやエンディングビデオ、記念誌作成、進行表など
多くの事に関わり過ぎたのが、逆に迷惑と成ってしまった。

義父が他界し、その通夜と祝賀会が重なったのだ。
親爺が亡くなった時、泣きながら白田さんに告げた時、
電話の向こうで絶句する白田さんの息づかいを、今でも思い出す。

あれから5年が経ち、35周年をお手伝いをする事に成った。
「そもそも、マッチャンがやろうって言ったんだからね」とまり子さんに言われた(^^;;;
ビデオ作成は、開催日1ヶ月前から始めた。
そんな中、義妹からメールが来た。
義母が、あと数日だろうと医者から言われたと書いて有った。

この事を、白田さんにお知らせした時、30周年と同じだった。
30周年の時は、カシラに事情を話したら、
「大丈夫マッチャン、オレやるから」何とも頼もしい言葉を貰い感謝した。
同じ状況なのだが、これは甘えていられない。
私の方で、お願い出来る和田ちゃんに事情を話し、
色々な事を引き継いで貰った。
「言って下さい、何でもやります」和田ちゃんからも頼もしい言葉を貰った。

義母は自宅療養中で、ホスピス入院を義妹が探している最中だったが、
医者から、それには間に合わないと思うと告げられた。
「週単位では無く、日単位で考えて下さい」
田舎にいる義母の兄弟にもそれを告げ、見舞いに来て貰った。

宣告されてから数日後、再度、訪問医の先生が看てくれた時、
「驚きました。この間と比べ、とても体調が安定してます」
ただし、持っても2~3週間で、異変が起きる可能性も示唆された。
でも、私が声を掛けると、手を差し出し、拍手をしようとして来るし、
私だと認識もして、話しもしてくる。
時折、苦しそうな顔をみせるので、
「お母さん、苦しい?我慢しなくて良いんだよ」と言うと「大丈夫」と言う。

そんな状況が、ここ数日続き、11日、会前日も私は実家に居た。
残り少ない命の火を灯してる義母の状況を家族全員が承知し、
生きてる間、出来るだけの事をして上げようと思い行動してる。
今も、母ちゃんや子供達は泊まり込みで看病してる。
母ちゃんは、「父ちゃん、これならビーバーズお手伝い出来るよ」と言ってくれた。
それまで、心配をしてくれてる白田さんからは、都度都度お電話を頂戴し、
「お母さんの具合如何ですか?」とお見舞いの言葉を貰ったが、
私の方は「お手伝い出来るか、まだ分かりません」としか伝えられなかったが、
この日、義母に、「お母さん、明日、祝賀会をお手伝いしなくちゃいけないので
頑張ってくるね」と告げると、義母は「私も、頑張る」と言ってくれた。
帰宅途中、その事を白田さんに連絡し、今回、お手伝いする事が出来ました。

「父ちゃんも、ビーバーズお手伝い出来て良かったね」
パーティー終了後、実家へ着いた時、母ちゃんに告げられた。
30周年と同じ状況に成らずに済んだのは、
義母の頑張りと、母ちゃん達の協力のお陰で、
その上、パーティーが大成功だったのは、ホントに良かった。
自分がバレーが出来る環境は、家族の協力があっての事。
これまで、子供達に話して来た言葉ですが、私自身、身を持って経験しました。

今朝も、白田さんからお電話を頂戴し、義母の状況を心配して頂きました。
パーティーが上手く行った事を、
昨日、実家を出る時、義母は眠っていたので伝えていません。
起きていたら、今日にでも伝えようと思います。喜んでくれるかな(^^)

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