300人のあすなろ(創部35周年記念パーティー) [ビ-バ-ズ]
「全員起立!」
卒業生・現役生・保護者・スタッフの全員が内藤監督の一声で起立。
そのまま、バレー訓・あすなろと、ビーバーズに携わった人なら、
誰もが知っている光景が会場で再現された。
「声が小さい、やり直し!」
あの瞬間、卒業生は全員、ビーバーズ現役に戻ったのだろう。
親も子も、当時にタイムトラベルした瞬間だった。
実は、あのセレモニーは予定に無い、全くのサプライズでした(^^;;;
「貼って貰いたい物があるんだけど」
それは、A4の紙をつなぎ合わせて作られたバレー訓・あすなろ。
「忘れて貰っちゃ困るからね(^^)」と渡された。
「何だ、内藤さん、言って頂ければ作ったのに・・・」と言う言葉が
頭をよぎったが言うのを止めた。
それは、内藤監督の手作りだからこそ意味のある物だと感じから。
これを会場で、渡された時、この出来事が何となく予想出来た。
当初、あすなろ合唱は予定に入れていたのだが、時間の都合で割愛した。
サプライズではありましたが、終わってみると、
あれなくして、何がビーバーズの会だった気がする。
内藤監督に感謝です。
今回は、私は時間通りに会を進めていく係。
進行表とにらめっこしながら、時間調整をするお手伝いをした。
ところが、予定表には無い・・・書けない事がある(^^;;;;
その一つが、総監督ご夫妻への花束贈呈だった。
実行委員の一人でもあり、奥様である、まり子さんには内緒(^^;;;;;
なので、進行表には記載が出来ないので、
それも、時間に含めた進行表を頭に入れる。
ところが、その私にも内緒で、奴らは仕掛けていた(^^;;;
総監督挨拶の時。
感極まった、ご挨拶が続く中、突然、総監督からステージに呼ばれた。
「ありがとう」そんな事、総監督から、言われたら、ダメじゃん(^^;;;
300名の前で泣きっ面を晒した。
それでも、時間を見ると、それ程遅れていなかった。
OBでもある日体大女子バレー部監督の根本先生ことネモケンが
この日から始まった大会の為、出席が遅れていた。
35周年のお祝いに、ネモケンからビーバーズにボール籠などの
贈呈品があり、その贈呈式を飛ばして、次に進んだ。
飛ばしたセレモニーを、次にと言うのは、
進行してる側から言うと、とても時間の読めない事だと初めての経験した。
30周年の時も、進行表を作ったが、やむない事情で会への出席が出来ず、
それを急遽お願いし、仕切ってくれたのはカシラだったし、
やるのは、この会が初めてで、言うは易く行うは難しを味わった。
結局、会は予定した終了時間を30分遅れで終わった。
会の終盤、白田実行委員長閉会の言葉が始まった時、
私の後ろで、ヤスさんが泣いていた。
鬼の目に・・・・・・(^^;;;;;;;;
ヤスさんの頭をポンポンと叩き、「良かったね」と言った。
思えば、このヤスコーチの思いやりのお陰で、私は、ここにいる。
金町卒業生なら、誰もがスタッフの思いやりを感じているだろう。
10年前、エリに対する思いやりを、私は一生忘れない。
あれが有ったからこそ、エリはビーバーズを卒業できた。
ただ、バレーボールチームを卒業できたと言う事では無く、
あの時、娘は色々な事を教わったのだと思う。
自分の不始末を、親で有る私に咎められ、
ビーバーズを辞めろと言う切羽詰まった状況で、影から、救ってくれた。
小学生だった娘には、何とも言えない救いだったろう。
自分の不始末から一度逃げた。
逃げたら、逃げただけの人生を、本橋監督から言い放たれ、
親の私にも言い放たれ、それを、救ってくれたヤスコーチの恩への感謝。
娘が金町を卒業してから10年が経った。
私は、受けた恩を、ビーバーズに返してるだけ。
きっと、この日ご列席された保護者の方々にも、同じ様な思いがお有りでしょう。
現在の娘が、この三つ子の魂を実践しているかは・・・ですが(^^;;;;
一生懸命で、がむしゃらで、いつもチャレンジしてる
娘を見られたのは、親として、こんなに有りがたい事は無かった。
35周年は、無事終わった。
次は、5年後の40周年なのだが、白田さんや私は、これでお役御免だね。
この会の実行委員として感じたのは、本来であれば卒業生、
その保護者を中心とした実行委員会を作り、スタッフをお招きする会が望ましい。
そういう会が出来れば、良いなと感じました。
司会をしてくれたカンちゃんや、和田ちゃん、高田さん達に感謝感謝です。
その他お手伝いをしてくれた保護者の方々も、ありがとう、お疲れ様でした。
テーブルやステージに置かれた、風船を使った装飾品。
あまりの出来映えだったので、業者を頼んだのかと思ったら、
保護者のお母さんの手作りと聞いてビックリした。
皆さん、どうもありがとうございました。
一つ、最後にジジィから「ちょっとお節介くらいが丁度良い」
出来る出来ないじゃ無く、「私やります」と思って頂けると
こう言う会は、最高な物に成ると思いますし、
人に対しても同じだと私は思っています。
これね、私の発想じゃ無く、私が、ビーバーズのスタッフから感じた事です。
それと、私の娘と同期だった保護者の須田さんやカシラが言った言葉。
「自分の子供が可愛いのは当たり前、でも、ビーバーズ親爺の会は
ビーバーズ全員を応援して行こう」
私が、恩を返して居られるのは、この言葉と、ちょっとお節介のお陰なのです。
改めまして「創部35周年、おめでとうございます」
これからも、ビーバーズは、ビーバーズとして頑張り続けて欲しいと願っています。
卒業生・現役生・保護者・スタッフの全員が内藤監督の一声で起立。
そのまま、バレー訓・あすなろと、ビーバーズに携わった人なら、
誰もが知っている光景が会場で再現された。
「声が小さい、やり直し!」
あの瞬間、卒業生は全員、ビーバーズ現役に戻ったのだろう。
親も子も、当時にタイムトラベルした瞬間だった。
実は、あのセレモニーは予定に無い、全くのサプライズでした(^^;;;
「貼って貰いたい物があるんだけど」
それは、A4の紙をつなぎ合わせて作られたバレー訓・あすなろ。
「忘れて貰っちゃ困るからね(^^)」と渡された。
「何だ、内藤さん、言って頂ければ作ったのに・・・」と言う言葉が
頭をよぎったが言うのを止めた。
それは、内藤監督の手作りだからこそ意味のある物だと感じから。
これを会場で、渡された時、この出来事が何となく予想出来た。
当初、あすなろ合唱は予定に入れていたのだが、時間の都合で割愛した。
サプライズではありましたが、終わってみると、
あれなくして、何がビーバーズの会だった気がする。
内藤監督に感謝です。
今回は、私は時間通りに会を進めていく係。
進行表とにらめっこしながら、時間調整をするお手伝いをした。
ところが、予定表には無い・・・書けない事がある(^^;;;;
その一つが、総監督ご夫妻への花束贈呈だった。
実行委員の一人でもあり、奥様である、まり子さんには内緒(^^;;;;;
なので、進行表には記載が出来ないので、
それも、時間に含めた進行表を頭に入れる。
ところが、その私にも内緒で、
総監督挨拶の時。
感極まった、ご挨拶が続く中、突然、総監督からステージに呼ばれた。
「ありがとう」そんな事、総監督から、言われたら、ダメじゃん(^^;;;
300名の前で泣きっ面を晒した。
それでも、時間を見ると、それ程遅れていなかった。
OBでもある日体大女子バレー部監督の根本先生ことネモケンが
この日から始まった大会の為、出席が遅れていた。
35周年のお祝いに、ネモケンからビーバーズにボール籠などの
贈呈品があり、その贈呈式を飛ばして、次に進んだ。
飛ばしたセレモニーを、次にと言うのは、
進行してる側から言うと、とても時間の読めない事だと初めての経験した。
30周年の時も、進行表を作ったが、やむない事情で会への出席が出来ず、
それを急遽お願いし、仕切ってくれたのはカシラだったし、
やるのは、この会が初めてで、言うは易く行うは難しを味わった。
結局、会は予定した終了時間を30分遅れで終わった。
会の終盤、白田実行委員長閉会の言葉が始まった時、
私の後ろで、ヤスさんが泣いていた。
鬼の目に・・・・・・(^^;;;;;;;;
ヤスさんの頭をポンポンと叩き、「良かったね」と言った。
思えば、このヤスコーチの思いやりのお陰で、私は、ここにいる。
金町卒業生なら、誰もがスタッフの思いやりを感じているだろう。
10年前、エリに対する思いやりを、私は一生忘れない。
あれが有ったからこそ、エリはビーバーズを卒業できた。
ただ、バレーボールチームを卒業できたと言う事では無く、
あの時、娘は色々な事を教わったのだと思う。
自分の不始末を、親で有る私に咎められ、
ビーバーズを辞めろと言う切羽詰まった状況で、影から、救ってくれた。
小学生だった娘には、何とも言えない救いだったろう。
自分の不始末から一度逃げた。
逃げたら、逃げただけの人生を、本橋監督から言い放たれ、
親の私にも言い放たれ、それを、救ってくれたヤスコーチの恩への感謝。
娘が金町を卒業してから10年が経った。
私は、受けた恩を、ビーバーズに返してるだけ。
きっと、この日ご列席された保護者の方々にも、同じ様な思いがお有りでしょう。
現在の娘が、この三つ子の魂を実践しているかは・・・ですが(^^;;;;
一生懸命で、がむしゃらで、いつもチャレンジしてる
娘を見られたのは、親として、こんなに有りがたい事は無かった。
35周年は、無事終わった。
次は、5年後の40周年なのだが、白田さんや私は、これでお役御免だね。
この会の実行委員として感じたのは、本来であれば卒業生、
その保護者を中心とした実行委員会を作り、スタッフをお招きする会が望ましい。
そういう会が出来れば、良いなと感じました。
司会をしてくれたカンちゃんや、和田ちゃん、高田さん達に感謝感謝です。
その他お手伝いをしてくれた保護者の方々も、ありがとう、お疲れ様でした。
テーブルやステージに置かれた、風船を使った装飾品。
あまりの出来映えだったので、業者を頼んだのかと思ったら、
保護者のお母さんの手作りと聞いてビックリした。
皆さん、どうもありがとうございました。
一つ、最後にジジィから「ちょっとお節介くらいが丁度良い」
出来る出来ないじゃ無く、「私やります」と思って頂けると
こう言う会は、最高な物に成ると思いますし、
人に対しても同じだと私は思っています。
これね、私の発想じゃ無く、私が、ビーバーズのスタッフから感じた事です。
それと、私の娘と同期だった保護者の須田さんやカシラが言った言葉。
「自分の子供が可愛いのは当たり前、でも、ビーバーズ親爺の会は
ビーバーズ全員を応援して行こう」
私が、恩を返して居られるのは、この言葉と、ちょっとお節介のお陰なのです。
改めまして「創部35周年、おめでとうございます」
これからも、ビーバーズは、ビーバーズとして頑張り続けて欲しいと願っています。