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疎開 [家族]

新潟県の村上市に、私は生まれて初めて訪れた。
私の記憶にあったのは、皇太子妃殿下雅子様の実家、
小和田家が、この地の出であると言う事。

それと、もう一つ。母の戦時中の疎開先だったと言う事。
親父の納骨日が決まった時、
この疎開先であった村上へ、その後一度も訪れた事が無かった母が、
行ってみたいと言い出した。
私の祖父の実家の在った、この村上に疎開をした当時、
小学5年生だった母の記憶は、とても、あやふやで住所も分からず、
非常に曖昧な物だった。
「そんな70年前の記憶で辿っても、分からないんじゃ無いの?」
と言うと、「大丈夫、分かると思う」と言う。

ところが案の定、町並みは変わってるし
駅を起点に地図を頼りに、少し車で走って見てもさっぱり。
「観光案内で聞いたら・・・」とか「警察に聞いたら・・・」とか
言うのだが、70年前の疎開先が、そこで分かるとは到底思えない。
地図を眺めていたら、歴史文化館があったので、そこを訪ねた。
だが、あまりにも母の記憶が曖昧だったし、応対してくれた係の人も
当時の事を知ってる人では無いし、ここでも分からなかった。

「夜、一人でお城山に登って、薪にする杉の枝を集めに行った」
母の話に良く出てくる、お城山。
昔、山の頂上に村上城があったので、そう呼ばれている山で
正式名称は臥牛山(がぎゅうざん)と言う山へ行き、
その場の景色から、だいたいの場所を見つけ出せればと言う事で向かった。

一応観光場所と成っている山でしたが、
一言で言うと、怖そうな山(^^;;;;;
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「お婆ちゃん、こんな所に枝を取りに来たの?」と孫達に言われていた。
雨も降っていたので、山の麓を母と二人で少し廻って見て、
「どう、この景色に見覚えない?」と聞いたが、
あまりにも、変わりすぎていて、さっぱり分からない。
「この辺、全部畑だったし、川も見えないね」と記憶とは大違いの
辺りの光景に、もどかしい感じだった
麓から向こうに、もう一つ山が見えるのだが、
その山を見た時に、「ああ、こっち方面だったかも」と母が言った。
薪を取って、家に帰る時に見た向こうに見える、
その山の形を、かすかに思い出した様だった。

そこから、車に戻り母が言ったその方面に向かった。
でもね、やっぱり風景が変わりすぎていた。
当時は無かった物が建ち、あった物が無くなっている。
「いいよ、いいよ、ここまで来られただけで」と母が言うのだが、
「何言ってんだよ、折角来たんだから、もっと探そう」と言い
母の記憶の痕跡を辿った。
小学5年生の目線、記憶、全員が70年前に戻って
辺りに目配せをしながら探した。

「山に向かって行った時、どんなふうに山が見えた」
「川があったのよ、隣が内藤さんって家だったと思う」
母の一言で、今度は全員で内藤さんちを探す(^^;;;
川の痕跡、内藤さん・・・・。
郵便局の人がいたので「この辺りに内藤さんと言う家は」と聞いたが
「ありませんね」と言う答え。
この辺で内藤と言ったら、そりゃ日本最後の殿様の内藤家の事で
実は、私の祖母の家系で縁戚に当たる。
今でも、恵比寿に母方の墓があるのだが、その寺から
この村上に、内藤家の墓を移したのは、聞いた事が在った。
だから、内藤と言う名字が隣りの家だったのか、
地元で有名な名字だったので、覚えていたのかが微妙に思えた。

「やっぱり見つからないね」と言ってる時、
妹が「そう言えば、さっきの歴史資料館で、この辺に酒屋さんが
あって、そこの人が詳しいとか言ってたよね」と言うので、
その酒屋さんに行って見る事にした。
そこは、さっきから何度も前を通っていた所だった。

「酒道楽 工藤」酒屋の店主は工藤達郎さん、御年64歳。
この人が、母にとって運命の出会いと成った。

母と私と妹と訪ね、経緯を説明した。
そんな、立ち話もなんだから、座って聞きましょうと言う事で
店の奥へ通された。「コーヒー持って来て」と工藤さんが奥様に・・(^^;;;
「イヤイヤ、そんな申し訳無いので、お構い無く」と言うと
ニコニコ顔で「良いの良いの、それでお母さんの話聞きましょう」
と、そこから母の話を聞いてくれた。
「住所も分からないんじゃ難しいけどね・・・」と、今度は、
ご自分の幼い頃の話をしてくれ、その話と母の思い出との共通部分から、
この厄介毎を紐解いて行ってくれた。
「成るほどね、大体は分かりましたけど、お母さんが、ここに居た頃、
私は、まだ生まれて無いからね、その当時の写真が展示してある所が
あるから、そこに行きましょう」
お店もあるし、そんなご迷惑は掛けられないと、丁重にご辞退申し上げたが、
「何言ってるの、時間も無いから、すぐ行きましょう」と、店の外へ行ってしまう。

向かった先は、「イヨボヤ会館」
イヨボヤとは、この地方の方言で「鮭」の事。
大昔から、鮭の養殖みたいな事をしていた場所だったらしい。
その放場(養殖池)の写真が展示してあり、母が語った沼が
その跡地だと思われたらしく、写真を見れば思い出すかもと言う事で
訪ねたのだが、ここの閉館時間を過ぎてしまっていた。
「大丈夫、大丈夫、ちょっと待ってて」と言い、その会館へ入って行き
「お母さんだけ、連れて行きます」と二人でそこへ入って行った。
通常だと、入場料を払って入るのだが、この時はタダで入った(^^;;;

しばらくして、二人で出て来たが、
その写真からは、記憶を引き出す事は出来なかったらしい。
見学をしながら母が、工藤さんに思い出話を聞かせていたらしく
直ぐさま、「今ね、お母さんが下駄の工場が在ったと言われたので
そこに行きましょう」
母の旧姓を言うと、この村上では珍しい名字で
現在は、2件あるので、そこも通りますとの事だった。

下駄の工場、旧姓の名字の家、放場の跡地
母がその近くで、スキーをやったと言う場所、

それらをずっと訪ねて行き、そして遂に、
ここだったろうと言う場所に辿り着いた。
当たり前の事だが、当時とは全く別の風景で
既に住宅も沢山出来て居る。

「川が無い」
「川?お母さんが立ってる、この道が大昔、川でしたよ」

村上市堀片と言う所が、母が疎開をした場所だった。
そこから、お城山を望み、感慨深げにしていた。
「良かった、嬉しい」と母が工藤さんにお礼を述べていた。
お店に戻り、話をしながら、何か書いて貰っていた。
「お母さんね、今日は出来ないけど、
そのお母さんの旧姓の家に、後で聞いて見るね
もしかしたら、ご親戚に充たる家かも知れないからね」

その時、奥様が
「この人ね、ハワイから訪ねて来た人のルーツも、
辿り充てた事があるんですよ」と話してくれた。

地元では有名な方の様だが、
それにしても、突然訪ねて行ったにも関わらず
親身に成ってくれた、工藤さんに感謝の一言です。
私にして見りゃ、1日前に母の日のプレゼントが出来た。
「今度来る時は、電話して頂戴、ホテルでも旅館でも
良い所取るからね、夏場やゴールデンウイークは避けた方が良いね」
と言ってくれた。

親父の納骨式で、母の疎開先も判明したり
お互いに小学生で会ったきり、これまで一度も会う事が無く、
40数年ぶりに会った従兄弟が、3人の母親に成っていたり、
私も色々な思い出が出来た。
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怖い方の教え子

おはようございます。
筋肉痛になるくらいたくさん走った甲斐がありましたね(*^_^*)
お母様も喜ばれたようで、親孝行できてよかったですね。
しかし、親切な方がいるものですね。
心温まるお話でした(*^_^*)
by 怖い方の教え子 (2013-05-14 08:46) 

まつパパ

ボランティアで、村上市の観光案内を為さっているようですが、
突然訪れた、見ず知らずの人に、
果たして自分は出来るだろうかと考えてしまいました。
帰り際も、「食事はどうする?」と色々な所に電話を入れてくれました。

酒屋さんだったので、お酒買ってきました(^^)
この酒は、もうすぐ小料理屋をオープンする魚屋へのお土産です(^^;;;

by まつパパ (2013-05-14 11:58) 

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