SSブログ

通夜 [人]

町屋斎場でPM6:00からの通夜だった。
私達は、30分前に付いたのだが、この日の町屋斎場は
とても混雑をしていて、駐車場がいっぱいだった。

ア◯サパパ・とママの姿が見えたので、車を降り挨拶をした。
それからは、続々と弔問に訪れる人が列を成した。

遺影は、本当にママらしい、笑顔でピースサインをしていた(^^)
みんな、最後のお別れだ。
ミ◯コの先輩の代、同級生、1つ下のエリ達、その下のア◯サ達
沢山の先輩後輩達が、ママと最後のお別れに来ていた。
「ご無沙汰しています」と私も列に並びながら、沢山の人達に挨拶をしていた。
中◯高校の子供達も保護者の方々と一緒に並んでいた。

お焼香が済み、ホールでは、同窓会や先輩達への挨拶が始まっていた。
私の所へも、子供達が挨拶に来てくれた。
「松◯さん、小さく成りました?」(^^;;;;;;
「お前らが、でかく成ったんだろうが!」みんな、それぞれに成長をしていた。
ナッちゃんが挨拶に来た時、現在の近況を知らせてくれた。
専門学校を卒業して、更に専門的な勉強をする事が決まったらしい。
みんな、こんな時どんな顔をすればよいのか、不安げな面持ちだった。
市船のサ◯も弔問に訪れていた。「お前、ヒナ頼んだぞ」と声を掛けた。
「はい、分かりました」と頼もしくなった顔で答えてくれた。
ママのお陰で、みんなに会う事が出来ました。

しばらくして、ミ◯コパパとミ◯コがみんなの所へ来てくれた。
やはり突然の事だったらしく、一番ビックリしているのは、
ママ本人だとパパが知らせてくれた。「鬼嫁らしく、とても穏やかでした」
とパパが言った時、そう言えばと思い出した。
渕江中コーチ時代、私はママに「鬼嫁、鬼嫁」と言ってた(^^;;;;
「鬼嫁じゃ無いですよ、松◯さん、こんなやさしい嫁はいません」
パパがお酒が好きで、飲み過ぎると、毎回小言を言って居たのを捕まえて、
私が鬼嫁をと称したのだ。
「パパ、お酒飲みすぎないようにね」鬼嫁に変わって、この日私がパパに伝えた。

ミ◯コは・・・・。
まるで、何かのパーティーで、久々みんなに会う様な感じで接していた。
大きな声で「久しぶりー!元気だった」「おぉ、ありがとね」
会う人、会う人に笑顔で接していた。
私の所へ来た時も「松◯さん、ありがとうございます」と笑顔だった。
なので、私も普通の話にした。
「お前、ちゃんと勉強してるか?」「はい、やってます」
「オレ、お前に診て貰うって、ママと約束したんだからな」
「大丈夫ですよ、ちゃんとカウセリングしますから」

この子は、やっぱり気丈だ。
周りの大人達からは、「今はね、気が張っているから」と言う声が聞こえた。
ご自分が大変な時も、その事を絶対に顔に出さず、
いつもニコニコとして居られたママでしたが、この子も、そのDNAを受け継いでいる。

あんなに沢山の人で長い列が出来ていたが、それが無くなった頃、
最後に、ウチのかあちゃん達と子供達が、ママのお顔をみさせて頂きに行った。
「とうちゃんは行かない?」と言われたが、「俺はいい」と断った。
私は、あの遺影で十分でした。最後にママの笑顔を見てお別れが出来た。
こんなに沢山の人に愛されたママだった。享年46歳。
弔問に訪れた方々の話を聞いていて、
どう生きるかを、最後の最後にママ教えて貰ったお式でした。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

nice! 0

コメント 0

コメントの受付は締め切りました
最後のお別れ第30回ミカサ杯 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。