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第6回昭和46年度総和中同窓会終了_part3 [学校]

会場へ着いた時、PM3:30分くらいで、結構人も集まっていた。

私は、3年6組で転校生だったせいか、出席簿は男子の
一番最後に名が書いてあった。受付近くで、6組幹事の友人を捜した。
司と書いてマモル。通称マモちゃん。
50を越えても、呼ぶ時はやっぱりマモちゃんだった(^^;;;;
「マモちゃん、こんちは。会費はどうしたらいいの?」と挨拶をした。
「おお、着いた?良かった良かった。」「まだ、6組男子は誰も来て無いんだよ」
会場の席はクラス毎の丸テーブルで、6組はテーブルが2つ用意されていた。
「誰が来んだい?」と訊ねると、「そうだ、そうだ」と言いながら、
同窓会名簿のコピーを1枚出し、「名前の前に◯が付いてんべな、
それが今回の出席者だ」見ると、男子5名、女子8名の計13名。
それを見ていたら、1人やって来た。中学、高校と同じだったハブ委員長。
マモちゃんと同じ、呼ぶ時は「ハブ委員長!こっちこっち」だった(^^;;;

そうこうしている時、福島原発で働いていた友人が入って来た。
「おお、元気だったか!」と挨拶をしたが、6組で集まった全員が
私と同じ心配を、その友人に抱いてた。
「福島で大丈夫だったの?」とみんなが訊ねた。
話を聞くと、2年前に新潟の柏崎に転勤に成っていて、
直接の被害には遭っていなかったらしいのだが、
震災の翌日、救援で柏崎から福島原発に、行った時の話をみんなで聞いた。
言葉では言い表せない状態は、まさしくこれを言うのだと感じたらしい。
そんな話をしている時、幹事の司会者から、開宴のアナウンスが有った。

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先生方の入場、挨拶から始まり、ビデオ上映会やビンゴ大会など
会は粛々と進んでいった。
会も始まって、1時間経った頃だが、私はまだ女子の誰とも話していなかった(^^;;
と言うか、誰なのか分からない子が多すぎて、声を掛けられなかった(^^;;
隣に座っていたタケちゃんに、「あれ、誰だっけか?」と訊ねられても答えられない。
名簿を見ながら、端から「あの人がこれだんべ」と言いながら確認したが、
1人誰もわからない人がいた。その人とは会場へ入る時に一緒で、
「あれ?松〇君だよね」と声を掛けられていた人だった。
同じクラスだったんだと、その時気が付いたが、後の祭り。
「もう、ひどいんだよ。入口で声掛けたのに、知らんぷりして行っちゃうの!」
(^^;;;;;(^^;;;;(^^;;;;、何と部活も同じだった武井のセッチャンだった。
「いや、悪い悪い、全然分からなかったんだよ」と謝った(^^;;;

先生を交え、記念写真をクラス毎に撮ったのだが、
その直前、持って行ったデジカメの電池が切れた(^^;;;;;
先生にご挨拶をし、ここへ来る前に寺へ伺った話をした。
先生から「松〇君は、はっきり覚えてるな」と言って頂いた(^^)v
「女の子に、もててたもんな」「そうですか?」と言ったが、
実はこの同窓会で、3人他のクラスの女子から「松〇君だよね?」と
訊ねられ、「私、子供に初恋の人の写真撮って来てと言われたんで
一緒に写真撮って貰っていい?」と言われた(^^)ハッハッハッ自慢だよ自慢(^^;;;

会も終盤に来て、次は5年後、みんなが60歳の時にやる事を
幹事代表のシンちゃんから告げられた。
その時、「生きてっかなあ~?」と、あちこちで声が聞かれた。
一本締めで、2時間の同窓会が終了した。今回の出席者99名。
全部で9クラス有ったので、平均1クラス11名の出席だった。
私はこの時まで、13クラス有ったと勘違いをしていました。

会も終わり、次はクラス会へ流れて行き、6組は全員が出席した。
古河駅前のスナックを幹事のマモちゃんが予約をしてくれていた。
同窓会には出席出来なかった女の子が1人、ここから出席。
高校も同じヨウコさんだった。
ここで、古河の呼び方が違うと言う話に成ったのだが、
語尾が下がるのが普通だと思っていたら、地元の人は
語尾を上げて呼ぶらしい。「そりゃ、おめえら、方言じゃないの?」と
言うと、非難囂々だった(^^;;;;

クラス会の会費が異様に安いので聞くと、先生から寸志を頂いていたらしい。
男子2000円、女子1000円でPM7:00頃からPM11:30まで
クラス会をやらせて貰った。集まった中で既に孫がいる人が2人いた。
両名とも女子だったが、次のクラス会は、みんな孫自慢だなと誰かが言った。
このお婆ちゃんに成った1人が、当時、私の好きな人だった。
部活も一緒で、この人のお父さんは、後に私の高校の教頭先生だった(^^;;;
当時の話をしている時、担任の先生に反発していたと1人が言うと、
あっちでもこっちでも、「私も」「私も」と言っていた。
その話を聞いていた時、私の周りはとても大人だった事に気が付かされた。
「いやぁ、みんな大人だったんだね」と言うと、前に座っていたノリコさんに
「子供だったもんね~」と言われた。そうかやっぱ子供だったかと、
あらためて、思い知らされた。すると、隣のタケちゃんが「大事、大事オレも
子供だったから」と助けてくれた(^^;;
時間が押す毎に、「ダンナが迎えに来たから」と言って、1人帰り2人帰りで
最後は6人に成った。

11時を回った時、そろそろお開きにすっかと言う事に成り、
私は、友人達に別れを告げ古河を後にした。
「またな、気をつけて帰れよ」「電話すっからな」と口々に友人達は
声を掛けてくれた。

東京と違い、ド田舎だった総和町。
それでも、たった1年半の中学生活で、転校生と言う事で当時は、
タケちゃん達とケンカもして来たが、そう時間も掛からない内、
私の事を受け入れてくれたこの友人達。
12年ぶりに再会をした私を、41年前と同じ様に接してくれた
友人達に感謝した。現在、私のDNAに、この総和中で経験した事が
どれ程大きなウエイトを占めているかは言うまでも無い。
昭和の中盤を、この総和中で過ごせた事を、今更ながら感謝出来た同窓会だった。
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